子供の未来
私には小学生の子供が2人いるので、最近ブームになっている中学受験のこととかもよく夫婦で話し合います。 しかし、当の2人といえば昆虫やら動物やら植物やらが大好きで、頭使うより体を動かす方が好きで、その割にちゃんとDS???っていうゲームもを楽しそうにやってます。
でもこの中学受験、考えれば考えるほど結論から遠ざかっていくような気がします。塾もそれなりに研究してますが、今の実態がわかればわかるほど頭が痛くなってきます。どこの塾がよいかではなくて、そもそもうちの子供達に中学受験の勉強させることが合っているのかどうかということです。
私自身は、小学校から帰ってきたら玄関にランドセル放り投げて、お決まりの遊び場所に一目散という感じでしたから、「中学受験」と出くわして困惑するのも当然といえば当然です。
こんな私が勉強ってした方がいいんだろうなぁってわかったのは中3です。高校受験のときですね。私は体育だけが「5」で、あとは3ばっかりで1つか2つ「4」が混じる(5段階相対評価で)感じでしたので、中3の1学期末の進路面談では行きたいと思っていた公立高校は無理(公立受験には内申書の評価がある)だから受けるなって言われました。それでも受けたいと食い下がったら、『だったら「4」をあと4つは増やせ』と言われました。
そんなら増やしてギャフンと言わせてやろうと思い、夏休みとその後の2学期はちょっとがんばってみたんです。そしたら本当に「4」が増えてしまいました。しかし、そのとき私の隣の席だった私よりはるかに勉強のできた子が私より通信簿の成績が落ちてしまいました。私は本番の試験もうまくいき(問題が超簡単だった!)その高校に入りましたが、その隣の子は「偏差値」では私の高校より下の高校に行きました。私の「4」が増えたので、誰かの「4」が減ったんでしょうが、そのあおりかもしれません。でも私の方が「偏差値」では上の学校に行きましたが、その子が私より「学力」があった事実は何も変わるわけではありません。そのときにはそうなってしまっただけの話です。案の定、私の高校での成績は最初から最後まで最下層に位置し、3年3学期の最終教員会議で卒業が決まるような人間になっていました。
ちなみに私はサッカー部だったんで当時の私立の強豪高校も受けました。でも、その学校に願書出しに行ったとき、グラウンドでサッカー部の人が練習していたんですが、それ見て愕然としました。うますぎるんです。話にならないと思いました。当時の私ははっきり言って行きたかった公立を受けられるようになった喜びより、このときのショックの方が大きかったです。高校受験は私にとってはこんなもんでしたから入った後で成績最下層になるのも当たり前ですね。
ただ振り返ってみると、節目節目(というかポイント)では、自信を持ってそれを貫くべきか、貫くために自己改革するか、勇気をもって方向を変えるべきか、といったことは自分なりに真剣に考えていたように思います。
これ以上大きな能力の上積みのない私には何となくおぼろげながら人生のゴールは見えますが、小学生に人生のゴールを見ろといっても無理じゃないでしょうか。世の中も人の気持ちも変わります。でも見えないからこそ、いろんな可能性が広がっているのだとも言えます。うちの子供達にはその広がっている世界に思い切りシュートを打ってほしいです。
いかなる結果にも現実をきちんと受け入れ、新たな目標を定め、自分の意思の力で踏み出せるような人間に育てたいです。
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