都三鷹の軌跡
あのミラクル4連勝でBブロックを制した選手権都大会から全国選手権準々決勝で藤枝東に敗れるまでを時系列でまとめてみました(都大会東京朝鮮戦の記事はコートンハンクス様にご投稿いただいたものです)。
第86回全国高校サッカー選手権大会東京都大会Bブロック
- 第1戦 2007年 9月23日(日) 対 東京朝鮮(駒沢補助球技場)
- 準々決勝 2007年10月21日(日) 対 関東第一(駒沢補助球技場)
- 準決勝 2007年11月11日(日) 対 都立駒場(駒沢陸上競技場)
- 決勝戦 2007年11月17日(土) 対 早稲田実(西が丘サッカー場)
第86回全国高校サッカー選手権大会
- 1回戦 2007年12月30日(日) 対 高知中央(国立競技場)前半・後半
- 2回戦 2008年 1月 2日(水) 対 矢板中央(西が丘サッカー場)
- 3回戦 2008年 1月 3日(木) 対 宮城県工(駒沢陸上競技場)
- 準々決勝 2008年 1月 5日(土) 対 藤枝東 (市原臨海競技場)
私は大会前に勝ち負けを予想するような記事は選手に対して非礼なのでしないのですが、今だから言える当時の率直な感想を述べますと、Aブロックに帝京と成立学園が入ったので、Bブロックを制するのは関東第一か修徳で割って入ってくるとしたら実績ある国士舘、國學院久我山、暁星だなと思っておりました。
実はあの東京朝鮮戦は隣の第二球技場で同時刻に始まった農大一vs都葛飾野を観てまして、陽が暮れて肌寒くなってきたので残り7~8分を残して補助球技場にちょっと寄って帰ろうとしたのです。だから写真が真っ暗になった後半の終わり間際のものしかないんです。この時、試合をご覧になっていたご父兄が「3対1か~」と話していたのが聞こえたので、「東京朝鮮から1点取るんだから三鷹はさすがだな」と勝手に解釈していたところ、大きな勘違いだったのであります。そして三鷹が東京朝鮮を破ったこの日をもって封印を解き、次の関東第一戦は絶対に観ようと決心したのです。というのも実は私は現役高校生だった26年前から山下先生を存じ上げており、三鷹を取材すると間違いなく気付かれてしまうことからずーっと取材を封印していたのです(本当のところ下手な記事書くと怒られそうで行けなかったのです・・・)。
しかし、今大会でその封印を解きました。そして解いて本当によかったです。夢と感動をいただくことができました。
関東第一戦の記事では、あの山下先生のガッツポーズを撮って載せましたが、あの試合の後にお会いして「おめでとうございます」と申し上げたところ、「いいこと書けよ。あとTシャツくれ」と凄まれ(笑)ました。もちろんkumazemi-Tシャツは三鷹高校職員室宛に宅急便でお届けいたしました。
私が先生に教わったことの中の一つに「自分より背が高い相手に密着マークされた状況でもヘッドで勝つ方法」という技?がありました。これは荒技でして、今やったら下手するとイエローカード(笑)ものですが、私はこの技を体得し、小柄だがヘッドの強いFWとして長くレギュラーでプレーできたのであります。
下の写真は、準々決勝の日に息子と特急さざなみで行った市原臨海競技場の入り口でうちの息子が「あっ!山下監督だ!」と先生を発見、藤枝東戦直前のセンシティブな状況にもかかわらず快く写真撮影に応じていただいた時のものです。
この日、山下先生はご父兄や応援団が到着するこの時間帯、会場入口あたりを徘徊(笑)していました。何で徘徊していたか、何となくですが、私にはわかります。
こういうところが決して指導者然としてだけ振舞うのではなく、人間くさくて人を惹きつけるところなんでしょうね。
初の選手権出場、そしてベスト8進出、本当におめでとうございます。
そしてお疲れ様でした。
でもいいお正月でしたね。
※一杯やるときはいつでも携帯に鳴らしてください!青戸でも吉祥寺でもどこでも馳せ参じます!
三鷹オレ!
選手権終わりました。決勝は流経の圧勝でしたが、藤枝の拘りのサッカーは健在でした。心から拍手を送りたいと思います。
今大会はこのブログでも大いに取り上げられた三鷹旋風が話題を提供し盛り上げました。そして三鷹の選手が優秀選手に3人も選出!もうしばらく、三鷹ドリームが続きそうですね。受験勉強大丈夫?
でも、ヨーロッパに行くことになったら凄いですね。応援してます!
投稿: クライフターン | 2008年1月14日 (月) 23:11
今日で選手権が終わりましたね。
この大会で旋風を起こした三鷹高から、
林君、北見君、白井君の3名が優秀選手に選ばれたようです。おめでとうございます。三鷹を応援した皆さんに、また一つ喜びが増えたのではないでしょうか。
そして、これから三鷹を背負っていく選手たちの励みなるかと思います。
来年も是非全国へ行ってください。
投稿: 千葉:aki | 2008年1月14日 (月) 21:39
コメントありがとうございました!
誤解を生む記事を書いてしまい、大変申し訳ございません。山下先生と私は顧問と生徒の関係ではなく、つまり私は直接の教え子ではないんです。以前から存じ上げていたのは、別の理由によるものなのです。わかりにくい内容で本当にすみませんでした。
番付の件は励ましのお言葉と受け止め、無手勝流ですが慎重にやりたいと思います!
でもプレッシャー感じてきました・・・(笑)
投稿: 匿名様<kumazemi | 2008年1月12日 (土) 00:25
初めまして、くまぜみさん。私は以前からこの見聞録を拝見させて頂いております。あまりこの様なページに投稿する性格でないと自分では思っていたのですが
この度の記事を見てあなたが私の後輩であることが分かり、投稿させて頂いた次第です。私は山下先生就任1年目に2年サッカー部(主将)をしていました。多分、くまぜみさんは私の3級下の学年になるのではないかと思います。基本的には面識が無いはずですが、卒業後5年間くらいは年に1・2度足を運んでいましたので、多分、会ったことがあるでしょう。山下先生(以後ヤマ)と私の始めての出会いは2年の保健体育の授業からでした。当時私は45度のグラサンを付け一番後ろの席でふんずり返っていたところ、初の授業で入って来たヤマは、「そこの45度!何かスポーツやってんのか?」「あ~サッカー」と答えたら「俺、今日からサッカー部の顧問になるから宜しくな」と言われ「あ~よろしくな」の会話が最初でした。当時先輩以外は何も怖くないと一人で舞い上がっていた私は、変なヤローが来たなくらいにしか思っていませんでした。その後卒業までに何度殴られたか数え切れないほど様々な事件がありました。ヤマの回転シュートを受けていて「つべこべ言わず早く蹴って来いよ。てめーこのシゴキが終わったらぶっ殺すからな」と言ったことがあるのは、後にも先にも私だけなのではないかと今でも思います。1年の時からレギュラーだったのですが、1勝もできず2年になった私達を勝率7割(都大会1回戦敗)までのレベルまで上げてくれ、当時は苦しかったですけど道を外れず卒業し現在があるのはヤマのお陰と感じています。ヤマなら私立へ行けば選手権も夢ではないと当時から思っていましたが、都立で達成するなんて凄いですね。この度の選手権ベスト8を賭けた試合、広島皆実戦を見に行ったのですが、試合前にヤマに偶然会えることができました。短い時間しか話せなかったのですが、ヤマから手を差し出してくれ握手をしました。三鷹の選手権全て放映されていた関係上、全試合見せて頂きました。選手のことはさておいて、解説の中でしばしばヤマの話題やコメントが紹介されていましたが、テレビを意識しているのは、選手よりもヤマでしたね。あんなコメント本当にしたのかよ。少しは大人になったなと感じていました。私の息子(中1)も都内のあるジュニアユースチームでサッカーをやっています。くまぜみさんの番付は、息子の行き先を左右することになりますので、慎重に番付をしてください。息子を三鷹に入れたいですが偏差値がほど遠く、蛙の子は蛙の様な気がします。
投稿: | 2008年1月12日 (土) 00:09
2年前メンバーの三鷹OBです。kumazemiさんのブログは東京大会から楽しく拝見させていただいてました。
三鷹高校の大躍進にはほんとに感動しました。東京でベスト8まで勝ち進むことも容易でないのにまさか僕らの後輩たちが全国でベスト8、しかも藤枝東と試合をしているなんて夢のようです。
kumazemi's reportこれからも楽しみしています☆
投稿: OB | 2008年1月 9日 (水) 23:28