金閣寺
4月に吉野桜を見に奈良まで行った帰り、新幹線待ちの京都でけっこうな時間ができたので金閣寺へ行きました。
ご存知のことと思いますが正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)と言いまして、臨済宗相国寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)の禅寺です。いわゆる「金閣」は舎利殿のことです。この舎利殿は三層から成り、一層は寝殿造の「法水院(ほうすいいん)」、二層は武家造で「潮音洞(ちょうおんどう)」そして三層が中国風の禅宗仏殿造で「究竟頂(くっきょうちょう)」といいます。
金閣寺の写真はたくさん出回っていますが、安民沢(鏡湖池の背後の一段高い山腹にある池)側から撮った究竟頂だけが見える作品が下の写真です。
そして金閣寺と言えば「三島由紀夫」であります。小説「金閣寺」は、31歳の三島由紀夫が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔と言われています(新潮社)。
左の写真は鏡湖池に突き出した漱清です。これを見てあのクライマックスがよみがえりました。
「私は漱清のほとりから、金閣の西の板戸、あけはなしたままになっている観音披きの戸口へ踊り込んだ。抱えていた座蒲団と風呂敷を、積み重ねた荷の上へ投った。胸は陽気に鼓動を打ち、濡れた手は微かに慄えていた。あまつさえ燐寸は湿っていた。一本目はつかない。二本目はつきかけて折れた。三本目は風を防いだ私の指の隙々を明るませて燃え上がった。藁のありかを探したのは・・・」
小説を思い出しながら、舎利殿に近づいてみました。近づいてみて思ったのですが、想像していた以上に「金ピカ」でした。
聞いたところによると1987年に金箔の張替をしたそうです。
私は少々複雑な気分でした。とにかく綺麗すぎるのです。金閣寺が学僧の放火により焼失したのは1950年(昭和25年)で、復元・再建されたのが昭和30年(1955年)ですから、築52年です。でも、綺麗すぎます。
「もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のように、しなやかに飜し、捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら・・・」という文が出てきますが、解説にあるとおり言語映像が豊饒すぎるのであります。
才能のある人が羨ましいです。
親ばかサポーター様
コメントありがとうございました。これからも何とか時間を作って取材を続けていきたいと思います。
三島作品ですが、私は今「宴のあと」を読み直しております。
大人になって読むとまた違った感覚を受けるものですね。また、あらためて日本語ってすばらしいなと思いました。
投稿: kumazemi | 2007年5月17日 (木) 19:16
高校時代、読みあさった三島作品ですが、確かにあの金ぴかの金閣寺を見て、小説金閣寺と結びつけるのは難しかった記憶があります。
先日三島由紀夫出演の映画祭がありいくつか観ましたが、その映像を作ったご本人と、小説の文章にあふれ出る才能とを結びつけるのも難しいことでした。
やはり伝説の人物ということでしょうか。
投稿: 親バカサポーター | 2007年5月17日 (木) 13:56